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主な行事はLinkしちょるけんclickしてね。

1月14日 勇壮な鯨太鼓の めーざいでん(弁財天)
3月〜4月 阿瀬津熊野神社で桜の花見でもしませんか。
4月下旬〜6月 蛍見物 (えっこんな所で蛍が見られるんですか?)蛍コンサートも6月頃開催されます。
5月 春の交通安全パレード A safety driving week
5月下旬 五島地区の小学校の運動会(今年の有川小学校は5月20日)
6月 五島地区中学校総合体育大会(陸上だけ早めに実施し残りは6月下旬頃実施する)
7月 有川神社 祇園祭。夜祭りでは獅子と天狗の舞が見られます。皿を持っての踊りはなかなか見応えがあるよ。踊っているときに "あらえっさ" と上手く掛け声を入れれるようになったら一人前の子供として認められます。間違って掛け声を入れたらみんなから白い目で見られて恥ずかしさの余りに1年間は外出、出来ません
7月19日、20日 arinefestival in Arikawa打ち上げ花火や夜市もあるよ。 はまぐんの浜で遊ぼうデ (7月20日) 
7月第4日曜日 十七日祭り
8月13日〜15日 薙刀踊り(鯛ノ浦)
8月20日,日曜日 第50代横綱佐田の山杯子ども相撲大会(第5回)
9月 五島地区中学校の体育大会(10日上五島高等学校体育祭)(17日有川中学校体育祭)
10月第3土曜日 町内子ども相撲大会 (2000年10月21日)
10月第4日曜日 産業まつり
11月2日5日 文化祭 Boyの若いときには前夜祭に何度も出場し、短歌も展示したのですけど、今はパソコン熱中Boyです。
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 弁財天 (めーざいてん)
1月15日はめーざいてんのお祭り日です2002年は天気の良かったけんめーざいてんにゆかりの深い
正利翁社の写真ば撮りに行って来ました。2002年は去年Boyの家を改装してくれた大工の棟梁の立石君が取締役になってBoyの家に太鼓を叩きに来ました。2001年は上五島高校のバレー部の後輩の原よしひろ君が青年の取締役になってBoyの家に太鼓を叩きに来ました。この写真用にと、特別に2度太鼓ば叩っくだはりました。  その日と翌日はざーまな雪ん降って青年衆はご苦労様じゃった。TVや新聞では32年ぶりとか報道されちょったばってん。32年前ん雪ん日にや町なかん民家にはつららは見かけんやったですバイ。  それで、その証拠写真ば載せっみましたけん、どうか見てくだはらんかな。

正利翁社
"
正利翁社"を正面から臨む

正利翁銅像

2002年の青年達

2002年は子どんどんがいっぴゃ連いて回っちょったですば

【カブト岩】弁財天の近くにある波風雨により浸食された岩

Boy達は子供の頃潜水艦の模型を作ってここの水たまりでよく遊んだ
No。1Boy クラブの中根君は太鼓持ちになってぎばっちょったですバイ
大雪情報です15日夕方の状況です

少し激しく降ってきて、雪の降っている様がブロック塀をバックに少し写っています

16日の朝でBoyのうちの前です

16日朝です。最高に積もりました

寒い中で海老根ランが今年も花を咲かせる用意をしていますけどその上にも少し積もりました

これがツララの証拠写真です
 
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由来     1662年五島藩盛勝は叔父の民部盛清に本知1万5千30石のうち3千石を分け与え,藩士の五分の一を随従させて富江藩を創設させた、それまでは有川湾については元来五島藩の領地内であったが故に、問題はなかっだが、この分地によって五島藩の有川と富江藩に所属することになった魚目との間に領海についての海峡問題が生じた。魚目村が有川湾は自村の領地内で有るという説を主張した為、有川にとっては不都合となった。
   有川村ではその1年前の1661年2月名主、江口甚左衛門が没したので四男の甚右衛門が17才で家督、役儀共に相続していた。その甚右衛門は、福江、富江の両藩に訴えて善処するように願い出たが、分藩の際の藩制上のいきさつ等で仲々解決の見通しが着かず、目前の海で思うように漁が出来ないため生活は困窮するばかりになった。
  そこで1687年4月甚右衛門は江戸公訴に踏切った。しかしながらなかなか裁定が下らず、代表団は江戸評定所に四度も赴くことになった。この間の二十九年の長期に亘るその費用の捻出のために各郷毎に木を切り出して売却し、家財道具や身の飾り等も売り、餓死する者、奉公に行く者、娘を身売させる者等と、又あちこちからお金を借りながらも。名主江口甚右衛門を中心に有川村民は一丸となって、よく貧苦欠乏に耐え抜き、遂に勝訴を獲得するに至った。
   この代表団は江戸評定所に赴く道中に96社の神仏に勝訴を祈願していたが、特に鎌倉の弁財天には信仰が深く帰郷の折りには御神体を奉じてきて浜の御小島に祀り鯨組の守り神とした。

  その頃は正月2日に" 仕出式"が行われ夜中過ぎには太鼓を打ち響かせ、大歌が歌われた後、四十数人の羽差しが諸肌脱いで轆轤(ろくろと読み、物を引き上げるのに使う滑車のこと)の周辺に円陣を作り、"生歌"に併せて"羽差し踊り"を踊った後、組の重役達を海に投げ込んで,初漁に漕ぎ出したという。14日は小正月で"弁財天祭り"が行われ夜明け前から鯨歌の太鼓が打ち鳴らされて"羽差士踊り"や年の初め等、数々の鯨歌が盛大に歌われ終日賑わった。

江口甚右衛門は1725年七月二十日 八十一歳の生渡を終えた。村民は、彼の偉大な功績を後世に遺す為、"二十日恵美須"の神号を奉じ、"正利翁社"としてNo1Boyの家の直ぐ近くに銅像を建立して祭祀している(上の写真の一番左)。 

日時 1月14日
会場 各郷の殆どの家々
要領 浜、船津、中筋、高崎、上有川、西原の6郷の青年団によって行われている。
羽差士の容姿に習い、茜の八巻に着流し姿 
3〜4m位の長さで直径10cm程度の2本の竹の間に数個の鯨の心臓を包んだ皮を張った太鼓を打ち鳴らしながら各家々の前で鯨歌を歌う   
歴史と
その改革
昭和30年頃 浜、船津、中筋の3郷の青年団によって行われていた。
昭和35年 高崎、上有川の青年団も参加するようになる
昭和62年 三社統合に伴う有川神社の新設により有川祭り振興会が発足し、西原郷も参加しての有川6ヶ郷による祭りとなった。又この年より、小学生、中学生、高校生も参加するようになり、保存会も結成されNHKテレビ等でも放映され全国に知られるようになった。
参加資格 町内在住の青年男子
その他 始出式や弁財天の時に、大漁や安全操業を祈願して歌ったと云われる鯨歌(大歌、弁財天、生歌、年の初め、旦那様、神戻りの歌)や、作業をしながら歌ったと云われる納屋歌(轆轤巻き音頭、神戻りの歌、納屋歌、骨削りの歌、網の目締の歌、網替え音頭)も、伝えられている。又"生歌"には踊りがあって漁祭り始出式や弁財天の時などに鯨組の羽差士連中四十数人が茜の八巻に黒の着流しで、諸肌脱いで踊ったと云われているが、これは、勇壮な鯨突きの有様を表現したものである。立石善良先生よりの資料提供でした。
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