トータル
今日:
昨日:


五島退教協便り
発行元 
五島退職教職員等
連絡協議会
2021年1月19日
五島の小、中学校を退職した先生達で作っています
-
21
退教協ごとう NO16
2021年1月10
五島退職教職員協議会
タイトル 内容の概要 文責
担当者名
仲良し
あけましておめでとうございます今年はモォ〜ッとうれしい年になりますように心よりお祈りいたします2021年元旦     寺脇良雄 近づく丑年に役立てようと、去る12月上旬放牧場(岐宿町松山郷志田尾木戸牧場)へ出かけた。親牛だけでも約60頭が放牧されている。動きのある被写体なので、しばらく柵の中から眺めていると、遠くにいた牛達がのそのそと近づいて来た。 
人影がないので恐怖心が湧き、短時間で切り上げた。帰りには木戸さん宅へ立ち寄り、モニターで映像を見せることにした。 しばらく覗き込んでいた奥さんが「私はこれが好き。あなたも牛と一緒に写してもらうと良かったのに」と、おどけたように 横にいるご人さんに話しかけたので、笑いが起きて和やかなひとときとなった。
後日写真を届ると、「牛仲間にも好き嫌いがあるようです。ある牛が近づくと逃げるのに、別のだとこのようにじっとそばに居るのですよ」と話す言葉に、 観察力の深さと新鮮さ感じう れしくなった。その言葉から、題名を「仲良し」としました。  シリーズ「フォト漫歩」N「仲良し」
寺脇良雄
石炭が採れたっちた

 「石炭が採れたっちた」平田 昌一  


道津喜八郎さんが長崎県文化財保護委員就任を要請された時、元文化財保護委員の 前田賢寛(浦桑在住)さんから旧若松町築地で石炭が採掘されていたことを教えてもらったと言う。石炭の現物も見せてもらったとも。長年この島に住んでいたが(若松町には5年も在職していた)、そんな話は聞いたこともない。半信半疑で「若松町史」をひもとくと、ありました! 築地では、戦時中に石炭の採掘を行って月百トン程度掘り出したといわれている。戦後は昭和二十二年〜二十三年頃、福岡の人により約半年間採掘されたが、永続きはしていない。調査当時抗口の近くには約二トン程度の貯炭が残っていた。炭鉱付近は築地層に属する塊状の火山砕屑岩が露出するが、石炭層は上下 盤に泥岩をともなって南東に五十六度傾斜し、山側に突っ込んでいる。炭丈二十 一センチメートルである。  築地の石炭は無煙炭といわれているが、分析値は灰分が多く、良質とはいえない。薄層である点も含めて、今後開発されることは困難である。 早速、築地に単身で行った。海岸近くの家で洗濯物を干していた女性に尋ねた。〈下の会話は、すべて五島弁でなされています〉  「以前、ここで石炭が採れていたそうなんですが、どこにその場所があるかご存じですか?」  「私は十五の時から住んでいるが、そんな話は聞いたことがない。それが本当ならすごいことを聞きました」  さらに集落の中に入って行き、かなり老齢の男性に同じように尋ねた。
「石炭が採れたと聞いたことはない」 あきらめきれない私は、「最近、そこに行った人がいるんですよ。掘った跡があり、石炭がその周辺にあったそうなんですよ」  「そういえば、あの山の方に洞窟がありますが、水がたまっているはずです。そこに行くにも、やぶになっているので、行けないでしょう」
あの山の方にドキドキしながら歩を進める。最後の人家は、元は風雅の趣を解する人 が住んでいたらしい痕跡を残しながら廃屋への途を辿っている風情が漂っていた。家の前を過ぎて五メートルほど行ったところに人の背丈の三倍ほどの紅葉の木があった。色づき始めたその木は、周りの雑木に抗するように立っている。道は確かにあるのだが、やぶと化して行く手を阻む。単身で‥‥‥、時間的に‥‥‥、猪‥‥‥ 々の不安材料が前進したい気力をそぐ。 ;草木が枯れ果てた頃、もう一度来るぞ!老年探検家は燃えていた。 追伸 ここの水は軟水だという。軟水の風呂に入ると気持ちがいいという。以前にこの湾の真珠養殖に関わった人が、貝を洗う時に汚れがきれいにとれていたのはそのことに関係があったのかもという。 平田 昌一

平田昌一
自衛隊誘致
 
 防衛相に提出済み。水陸機動団の発足前から高浜海水浴場で演習・訓練を受け入れてきた「実績」を強調している。誘致には、他に佐世保と大村も名乗りを上げている。  人口減少に伴う地域経済の衰退は、この島に生きる私たちの大きな懸念ではある。しかし、危険と隣り合わせの自衛隊員の存在をそのまま地域経済の活性化につなげよう とする姿勢は正しいのだろうか。
人口が異例の「社会増」となっている五島市は都市部から注目されている。2014年から2018年までの移住者は467人、そのうち約7割が30代以下の若い世代という。 この島を思う一人ひとりが知恵を出し合い、長い時間をかけてもそれぞれができることを地道に積みねていくしかないのではないだろうか 。   
2015年 高 浜海水浴場での訓練
 
被爆体験
 
「被爆体験を語り継ぐ」活動に参加しませんか?(枡田)

 今回、私はこの「語り継ぐ被爆体験」推進事業に参加することにしました。一昨年89才で亡くなった母がよく語って聞かせてくれた被爆の体験。

 16才だった母は長崎の稲佐町で被爆。純心高等女学校の学徒報国隊の仕事は午後からだったため、一命をとり留めたのです。同学年の学友達62名は爆死、または原爆症で数ヶ月後に亡くなっています。グラマンの機銃掃射の下
を裸足でバリバリと、割れたガラスや,瓦の上を走って防空壕に逃げたという。
稲佐橋の上から見た浦上川、水を求めて道脇に座っていた3人の親子の姿‥‥‥語る度に母は涙でした。

 被爆者の平均年齢は83歳を越えました。被爆した方々がいなくなる日はそう遠くはない。 このままその方々のあまりにも重い、未来に活かさねばなら ない体験が埋もれてしまっていいのでしょうか。 誰も語らなくなった時、その事実はなかったことになります。具体的な被爆体験の継承が途切れては、 この国の「核兵器禁止条約」の批准すら絶望的です。私たちの次の役割が見えてきたような確信があるのです。 「教え子を再び戦場に送らない」決意は過去のものではないはずです。「平和教育」を何よりも大切にして子どもたちに語って来た私たちだからこそ、 その資格があるとも言えます。写真は、「長崎市平和推進協会」のチラシです。 「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証)推進事業」として、 被爆体験を受け継ぎ語る人を募集しています。私は母の体験受け継ぐということで応募しました。
 
 誰の体験を受け継ぐかは自由です。実際、これまでの研修では、私以外は肉親ではない方の体験を語っておられました。別にこの「推進協会」の事業でなくてもいいと思います。
退女教のメンバーともコラボして渡智恵子さん、山口仙二さん、谷口さん、片岡
ツヨさん、松尾あつゆきさんなどの体験記の朗読もいいと思います。
 「ヒロシマの空」;「うましめんかな」などの詩、「嘉代子桜」「凧になったお母さん」などの本だってあります。次世代に希望を託す仕事です。いずれ、どこかの小中学校・高校の子どもたちの前にまた再び立ってみたいと思いませんか。
枡田重忠
     
訃報  谷川惣一さんが昨年9月23日、福岡県大牟田市でご逝去なされました。 心よりお悔やみ申し上げます。 谷川惣一
原稿募集 退教協ごとう「戦後75年記念平和文集」
原稿を募集しています


 戦後75年という節目に現会員である私たちにしか作れない平和文集を 残そうと「戦後75年記念平和文集」を発刊することが話し合われました。 〇戦争の原体験 〇体験者から聞いた話 〇戦争の傷跡がまだ風景のあち こちに残っていた子ども時代 〇とりくんで来た「平和教育」の内容や管理 職との確執 〇地域に残る戦争の記憶 〇今日の政治や社会の動きに危惧 すること‥‥  原稿の募集期間を春頃までとして、夏頃には発刊する予定です。出来上がった文集は会員の皆さん全員にお配りいたします。  原稿は、FAX(0959−45−2114)または、電子メール (sigetada.06@world.ocn.ne.jp)、封書でもかまいません。できれば、写真が あれば最高です。メールの場合はお電話してください。  
〒853−3102  新上五島町岩瀬浦郷636−6  
                     広報担当 枡 田 重 忠
枡田重忠
     
リンク Link
日本退職教職員組合の下部組織 
五島退職教職員等連絡協議会 によるWebsiteです
長崎県五島の小、中学校を退職した先生達で作っています
日本教職員組合" 日本教職員組合によるWebsiteです
JTU 日本教職員組合"

 

"教職員共済" 日本教職員共済によるWebsiteです
日本退職教職員組合によるWebsiteです
   
   
   
   
   
   
-
 平田先生に頂戴した五島藪ツバキ白が咲いてびっくりでした
背丈50cm足りずの木に11個の花が咲きました
平田先生ありがとうございました。Boy
 
最後のツバキが咲きました。
 
アクセス 
有川←
福江←
フェリー2時間40分 高速85分 ←佐世保
←長崎
五島退教協の歌 作詞:鹿谷志嘉之さん

作曲:梶山 清さん
五島退教協
掲示板
 ♪皆様の交流のための掲示板です。
楽しい書き込みを沢山してくれる事を希望しています。♪